尊重し合う
主観に囚われず、他者の価値観を認める努力を絶やさないこと
なに?
辞書では「(尊重とは)価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。」1 と書かれています。
ここでの「価値あるもの」とは自分以外のあらゆる人の価値観、すなわち他者から見たときのものの見方や考え方といえます。
UniMagic憲章の項目「自由な世界で、学び続けることと覚えよ。」において「曲がりなりにもその一端である者として、互いを敬い尊重することを忘れてはならない。」という一文があります。 これはクラスメイトや担任・講師の先生、運営 スタッフのイベント内部の人達はもちろんのこと、イベント外のあらゆる人の考え方を尊いものとして大切に扱いましょう、と言い換えることができます。
「大切に扱う」の部分を更に具体化した考え方として、「自分と考え方や価値観の違う誰かの意見を、排斥したり、無視したり自分の考えを押しつけたりすることなく、受けとめる」2 というものがあります。
なぜ?
本イベントのような技術系イベントでは特に、人によって興味関心のある分野が異なります。人によっては「その人自身にとって関心のある分野の」技術力の有無や知識の度合いで個人の能力を無意識に測ったり、優劣を付けていたりするかもしれません。
例えばUnityに関する知識そのものに強い関心がある人が居たとします。この人は「Unity本科の講師は、講義を担当するのであればUnityの知識はどの生徒よりも多くて当然だし、もちろん授業中に出てきた質問はすべて答えなければならない」というような考え方をしたとします。
この人は授業が進むにつれ、「この先生はUnityに関する知識をいっぱい喋るしきっと沢山持っているだろうから凄い、一方でこの先生はUnityに関する質問も自力ではほとんど答えられず、知識が全然無いから講師失格だ」というような感想を持つかもしれませ ん(もちろん、この考え方も価値観の一つとして尊重されるべきです)。
しかしながら何が好きで何を学びたいかは十人十色ですし、どれだけ技術力が高い人であっても「知らないこと、答えられないこと」はきっと沢山あるでしょう。Unityそのものが得意な人もいれば、モデリングや演出技法、教室の雰囲気作りのような縁の下の力持ち的な領域が得意な人もいるかも知れません。
「講師のあり方」でさえ人それぞれです。Unityの知識量の多さで測る人もいれば、授業の進め方や見せ方、教え方のうまさといった考え方もあるでしょう。媒介役として「人と人を繋げることがうまいかどうか」という考え方もあります。金銭による報酬が一切発生しないボランティアによって成り立つイベントなのだから「スタッフとお客様」のような関係も一切無し、全員が参加者というフラットな関係でもいいじゃないか、という見方もあるかもしれません。
Unityについて習熟した人のみが講師になれるか、という点についても価値観が分かれる部分でしょう。人によっては「『講師』という肩書きが付いてるから当たり前なんじゃないの?」と考える人もいれば、「Unityに関する知識がそれほどなくても、教えることにチャレンジしたい、自分の強みを活かした講義をしたいといった動機さえあればいいのではないか?」と考える人もいるでしょう。
大事なのは「人の数だけ価値観がある」という事実を認知していることと、それについて可能な限り配慮することです。
「人は主観で物事を判断しがち」という事を自分事としてしっかりと自覚しつつ、お互いの価値観を認め合う努力を絶やさないこと。「巨人の肩に立つ」という言葉もあるように、お互いの知識や技術を借りながらより深い学びを得ていける、そのような環境を自分事として育てていくことが大切といえるでしょう。
ここUniMagicの学びの場においても、「知らないこと」は必ずしも悪いことではないと思います。大事なのは、自分が「分かっていなかったこと」に気付けることです。だからこそUniMagicでは流れを止めて質問することが重要視されているといえます。パラダイムシフトを受け入れるような「自分にとっての当たり前」の殻を破れた人、自分が「知らないこと」に気づけたことは何よりも尊いことであり、講義においてはもっとも価値のある事だといえます。