巨人の肩に立つ
他者の知見を受け入れることの大切さを説いたたとえ
なに?
Google社の学術文献検索サービス「Google Scholar」のトップページに掲げられている言葉として聞き馴染みがある方もいるかも知れません。
言葉の意味としては、「先人の残した業績が大きな土台となって、より展望が開け、学問や技術の進歩につながることのたとえ。」1 となります。
先人とは一般に「昔の人」という意味があります。ですが、進歩のスピードが著しい昨今のIT技術においては先人だけでなく現役の技術者、果ては身近な先輩であることがほとんどだと思われるので「先駆者」といった意味合いのほうが近いでしょう。
普段アバター改変をする我々にとって切っても切れない考え方といえます。Unity自体も、またそのベースとなる3DCG、ゲームエンジン、設計思想もすべては先駆者たちの研究成果によるものです。
もっと身近な例でいうと、衣装改変に便利なModularAavatarやアバターの軽量化に便利なAAO:AvatarOptimizerなどが挙げられます。 これらのツールを使うことで、皆さんの本来の目的である「かわいい/かっこいい/etc... なアバターを作りたい!魅せたい!」を考える時間に更に注力できるようになります。これも先駆者たちの研究成果のおかげ、といえるでしょう。
なぜ?
「巨人」という一見ファンタジーな言葉を用いたたとえですが、これは一般にアイザック・ニュートンが用いた比喩とされています。
・・・・・引用ここから “シャルトルのベルナルドゥスはわれわれをよく巨人の肩の上に乗っている矮人(わいじん)に準えたものであった。われわれは彼らよりも、より多く、より遠くまで見ることができる。 しかし、それはわれわれの視力が鋭いからでもなく、あるいは、われわれの背丈が高いからでもなく、われわれが巨人の身体で上に高く持ち上げられているからだ、とベルナルドゥスは指摘していた。私もまったくその通りだと思う。” (『Metalogicon』, Ⅲ, 4) ・・・・・引用おわり [出典:資料5「中世の春」の p.14]
その意味するところは、偉大な先人たちの業績や先行研究などを巨人に喩えて、現在の学術研究の新たな知見や視座、学問の進展といったものもそれらの積み重ねの上に構築され、新しい知の地平線が開かれることを端的に示した言葉とされる。
(レファレンス共同データベースより引用)
ニュートンが万有引力の法則を発見できたのも、先人や先輩たちの研究成果に対して敬意と謙虚な態度を怠らなかったから、といえるかもしれません。
この言葉の重要性について、「全く逆のことをするとどうなるか?」を考えてみましょう。巨人の肩の上に立たない、すなわち、既に存在する解決手段などを一切見ずに全て一から自分で頑張ろう!とした場合です。これは一般に「車輪の再発明」と呼ばれるものです。
車輪の再発明とは、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」2 のたとえです。
本来の目的に直接関係ないこと、いわゆる先行研究の調査や便利ツールの使い方を学ぶ時間は人によってはつまらないと感じるかもしれません。これらを飛ばして独自でやり方を研究するのもそれはそれで楽しいも のでしょう。
しかしながら、先駆者たちが費やしたであろう時間を同じくらい、あるいはそれ以上も使うことになります。そうして編み出された解決手段というのは、結局は先駆者たちが既に提案したものと同じかもしれません。いわゆる「二度手間」というものです。
アバター改変の効率化といった「既に解決手段が用意されているもの」を再発明するような時間を自分が本来やりたかったことへの時間に費やせれば、より良いものができるかもしれません。そしてその成果はきっと誰かの役に立つものになるでしょう。
先駆者たちは「偉大な技術者」だけではありません。身近な先輩、クラスメイトの知見も立派な「巨人の肩」といえます。大事なのはあらゆる人の価値観を認め尊重しあい、常に知見を吸収していける謙虚な姿勢を持つことといえるでしょう。